スポーツを通じたインクルーシブな社会づくり

寄稿者:小松 洋(2022-23年度ロータリー財団グローバル補助金奨学生)

今日、障害を持つ人びとの参加を重視するスポーツイニシアチブへの関心が高まっています。国連の持続可能な開発目標(SDGs)は、持続可能で回復力のある社会を構築する上で、インクルーシブかつ公平な教育の質が重要であるとしています。

世界銀行によると、世界の人口の約15%が何らかの障害を持っており、発展途上国ではその割合がさらに高くなっています。国連はまた、障害者の3分の1が差別を経験していると報告しています。ジンバブエでは、人口の約7%、約90万人が障害を持っていると報告されています。2000年以降、世界的に「スポーツを通じた平和と開発」の理念が広まり、ジンバブエでもスポーツが人びとをつなぎ、インクルーシブな環境を創出する手段として実践されています。

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Re-CONNECT:ロータリーファミリーホームカミングデイ

~学友とロータリーのつながりを求めて~

寄稿者:青柳薫子(東京広尾ロータリークラブ)

ロータリーには新世代育成のためのプログラムや奨学金制度があり、それぞれの事業を通じて学び、ロータリーの理念を深めた多くの学友が毎年誕生しています。これらの学友が、プログラムの枠や年代を超えて横につながり、同時にロータリー会員との絆を育み、維持していくことを目的として、国際ロータリー第2750地区ではロータリーファミリー支援委員会が活動を行っています。

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最も貧しい国での豊かな生活

寄稿者:江田慶子(2019-20年度ロータリー財団奨学生)

電気もガスも水道もない場所で本当の異文化理解

シアバターを生産する女性(写真提供:江田慶子)

私が青年海外協力隊として4年間を過ごしたブルキナファソは、世界でも最も貧しい国のひとつで、国連開発計画(UNDP)による人間開発指数(HDI)では、189カ国中182位(2019年度)と最下位近くに位置しています。

私の配属先の女性組合では、伝統的な手法でシアの実から採れるシア脂(シアバター)を生産・加工・販売することで貧しい女性たちの収入向上を目指していました。赴任当初の私は、そこで働く女性たちが約束の時間に毎回遅れてくることにとてもイライラしていました。というのも、待ち合わせの時間から1時間以上待たされるのは当たり前、時にはすっぽかされることもあり、その度に「急用ができたから」とまったく悪びれる様子がないのです。口論が重なり、なかなか思うように仕事も進みませんでした。

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医療業界でバリアフリーの必要性を伝える

~自身の障がいを受容し、チャレンジし続けるロータリー元奨学生

寄稿者:野口万里子(2002~2003年度ロータリー財団奨学生)

不安を抱えながらドイツに留学

「障がい者もおしゃれし、みんなと同じステージで輝く場所があっていい」と思い、ミセスコンテストにチャレンジした野口さん。

私は、ロータリー財団の国際親善奨学生として、ドイツ・フランクフルトへ異文化体験留学をさせていただきました。大学卒業直後で22歳の時でした。

私自身オランダ生まれで2歳で帰国し、幼少時より外国は身近であり、海外で勉強するという夢を抱いていました。多くの国を見て、一人で外国へ行けるようになることを望んでいました。

2002年8月、大阪よりフランクフルト空港に到着。最初はとても大きな不安を抱いていました。本当にフランクフルトで生活できるのだろうか。なぜならば、私は生まれつきの聴覚障がいだからです。胎内時に母が風疹を発病したため、難聴児として出生しました。加えて、重度聴覚障がいにより独特の発音です。

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シリアの子どもたちを守る

寄稿者:ムーイー・ヤン(2019-21年度ロータリー平和フェロー、ウプサラ大学)

運動場の清掃のあとにゴールネットを修繕する生徒たち。
ムーイー・ヤンさん

10年前、もし誰かに「あなたは紛争後の国に非営利の学校を設立するだろう」と言われたら、私はきっと笑い飛ばしていたでしょう。当時、私は商品取引会社のセールス担当としてクライアントの訪問や炭鉱の視察をしていました。

同僚たちとクライアントを訪問したときのことです。私は、炭鉱で子どもが働いているのを見て驚きました。10歳に満たないような子もいました。そのクライアントは、就労の法的年齢に達していない子がいる事実を隠していたことを認めました。

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ロータリー活動のその先に奴隷制の終わりがある

By ミーナ・チャン(元ロータリー奨学生)

私は、自分の人生を変えた奇跡を一生忘れません。私がそれを奇跡と呼ぶのは、その可能性がゼロに等しいものだったからです。

サセックス大学(英国)時代のクラスメイトたち

私は以前、故郷のバガモヨ(タンザニア)にあるカトリック教会で、新しい科学大学の設立を支援していました。大学の隣には小さな博物館があり、この町が昔、奴隷貿易の主要港であったことを物語っていました。

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日本のマイノリティに光をあてる平和フェロー

「多様性・公平さ・インクルージョン(DEI)」シリーズ第4回

寄稿者:ファラ・ハスナイン(国際基督教大学 ロータリー平和フェロー)

「私の目標は、アメリカに対する生徒たちの見方を変えること。日本での英語教員は白人が圧倒的多数ですが、アメリカの真のアイデンティティがいかに多様で多面的であるかを身をもって示したいと思います」

2014年、日本の高校での英語教員としてJETプログラムに参加するため、私は申請書にこう書きました。当時、このことが私の日本生活にどれほどのインパクトを与えるかは想像もしていませんでした。教壇に立ち、居眠りする生徒を起こし、日本のコピー機の使い方に頭を悩ませる毎日を過ごすうち、浜松市(静岡県)の田園風景と工場の煙の中に、もう一つの世界が存在することを少しずつ意識するようになりました。

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途上国開発のキャリアをめざす

~ロータリー奨学生からのレポート~

寄稿者:田中佑依(2019-20年度ロータリー財団奨学生)

2019年9月から、ロータリー財団グローバル補助金による奨学金をいただき、イギリスのサセックス大学院で学びました。この1年間の留学は、私の人生でとても意味のある大きな1年でした。

今回、奨学金を探すにあたり、ほかの多くの日本の奨学金制度も検討しましたが、その多くが、申請時に日本に住んでいることを条件としており、当時ミャンマーで開発分野の仕事をしていた私には申し込める奨学金の選択肢があまりありませんでした。そんな中、ロータリーの奨学金は門戸が広く、私のような状況の人にもフレキシブルに対応してくださいました。また、現地で多くのロータリアンや、ロータリー奨学生とつながることができたのも、世界中にネットワークのあるロータリーの素晴らしさだと思いました。

途上国の孤児院の問題を研究

開発分野の中でも子どもの権利や保護に関する分野に興味があっため、卒業論文では、途上国の孤児院に住む子どもの問題について取り上げました。

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日本留学後の逆カルチャーショック、それもバネに

By ジュリア・チャリファ(ロータリー青少年交換学生としてカナダから日本に留学)

私は1997年、17歳のとき、ロータリー青少年交換学生として東京に1年間留学しました。新しい言語、国、文化への私の心を開いたこの経験は、私の人格形成に大きな影響を与えました。

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右から、ジュリア・チャリファさん、ホストファーザー、交換留学の友人。1997年、鎌倉の大仏の前で。

留学前に1年間の日本生活に向けた準備をしたのですが、留学後に起きることまでは予測できませんでした。帰国後、思いもよらぬ自分の変化を知ることになったのです。 続きを読む

私がICU(東京)の平和センターを選んだ理由

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2019年8月にICUで研究開始

2019年の夏、私は国際基督教大学(ICU)にあるロータリー平和センターに18期生として入学します。

私がICUを選んだ10の理由をご紹介します。

1. 異文化への浸透

ICUは東アジアで唯一、ロータリー平和センターがある教育機関です。 続きを読む

米山奨学生の視点から【5】:日系ブラジル人の誇り

寄稿者:古藤ウィルソン忠志(米山学友、ブラジル出身)

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元・米山奨学生で弁護士の古藤氏(左)

はじめまして。私はブラジル生まれの日系二世、古藤ウイルソン忠志と申します。父は島根県松江市生まれ、母はブラジル生まれの日系二世です。私は19歳のときに日本へ渡り、父の故郷である松江で日本語を勉強し、島根大学農学部で専門的な知識を身につけました。

大学3年のときにロータリアンに出会ってから、日本に対する印象が変わりました。 続きを読む

ロータリーとのつながりで開けたピアノ人生

寄稿者:吉田 昴城

私は現在、ウィーン国立音楽大学ピアノ科に在籍し、教授、ならびにピアニストでもあるヤン・イラチェック・フォン・アルニン先生のもとで、日々勉強しています。

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現地で開かれたコンサートにて

まずはじめに、私が留学に至るまでの経緯、ロータリークラブとの出会いを、紹介いたします。

2011年3月11日、誰もが忘れもしない東日本大震災発生。私の故郷である福島県、浪江町もとても大きな被害を受けました。震災後、原発事故の影響により帰宅困難となり、ピアノの練習もままならない生活が始まりました。 続きを読む

ミャンマーの学生を支え続けて29年

~ 今泉清詞氏(今泉記念ビルマ奨学会創設者、川越ロータリークラブ会員)とのインタビュー

国際ロータリー地区ガバナー(第2570地区)を務めた1993-1994年度、今泉清詞さんは地区のスローガンを「建前より本音  形式より内容を」としました。25年経った今も、その姿勢は変わっていません。

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今泉清詞さん(川越ロータリークラブ会員)。鶴ヶ島市にあるご自宅にて。

戦時中に亡くなった戦友たちのため、そして、ミャンマー人に命を救ってもらった恩返しとして、30 年近く前に今泉記念ビルマ奨学会を設立。約180人ものミャンマー人学生に奨学金を提供してきました。今ではその卒業生たちが奨学会の運営を手伝い、地元鶴ヶ島市(埼玉県)とミャンマーとの交流が進んでいます。鶴ヶ島市で開かれた同奨学会のパーティーには、ミャンマー大使も出席するほど。この縁がきっかけで、鶴ヶ島市が2020年東京オリンピックの際にミャンマー選手団の受入都市になることが決まりました。

今回、94歳にして現役ロータリアンである今泉さんから、ミャンマーやロータリーへの思いを伺いました。 続きを読む

ロータリー奨学生としての英国留学

寄稿者:菅生 零王(すごう れお)

私は2016年9月から2017年8月までの約1年間、国際ロータリー第2750地区のグローバル補助金奨学生としてイギリスのロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで紛争学(Conflict Studies)の修士課程に在籍していました。

留学の原点は、世界中で依然数多くの人びとを苦しめている武力紛争を何とかしたいという思いにあります。何とかしたい、と思うのは簡単です。しかし、実際に何をすべきか、何をすべきでないか理解するための第一歩として、紛争自体について、紛争解決のアプローチについてより深く知る必要があると考えました。

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小学校でのワークショップの様子

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米山奨学生の視点から【2】:日本のリハビリ医療をアフリカで生かす

寄稿者: アドゥアヨム・アヘゴ・アクエテビ(米山奨学生、トーゴ出身)

私は、最新の義肢装具と福祉機器を研究するため日本に来ました。2013年に新潟医療福祉大学大学院に入学し、2年目に米山奨学生として研究に打ち込み、現在、博士後期課程で三次元動作解析装置*を用いた研究を進めています。Ahego 1
* 関節の動作を細かく記録する装置

下肢の切断、依存、孤立

研究の一環で、アフリカでの義肢装具に関する現状を調査しました。

サハラ以南のアフリカには7,800万人を超える障がい者がいます。しかし、リハビリ施設が不足しています。義足を買おうにも、高価であるため購入は困難となります。 続きを読む

奨学生から7年、ミネソタ州への感謝の旅

寄稿者:植田 杏奈(2010‐11年度国際親善奨学生、財団学友)

11月の感謝祭の祝日に合わせ、7年前に奨学生として1年を過ごした米国ミネソタ州を再訪しました。ロータリーを通じて出会った素晴らしい人びととの再会を果たし、心温まる旅になりましたので、是非ここで共有させて頂きたいと思います。 続きを読む

日本の学友たちとの出会い

By ビル・リンツ(国際ロータリー、学友担当)

先日私は、日本の複数のロータリー地区を訪問し、とても素晴らしいロータリーファミリー(クラシック音楽家、社会福祉士、教師、建築家、教授、ビジネスリーダー、若い職業人など)に出会うことができました。みな経歴は異なりますが、全員が「ロータリー学友」で、学友であることを誇りに感じていました。 続きを読む

視覚障害を乗り越えてネパール初の青少年交換留学生に

寄稿者:シーマ・タマン(ネパール、カトマンズからのロータリー青少年交換留学生)

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フェイスペイントをしてもらうシーマさん

2016年から2017年にかけての1年間、私はネパールから初のロータリー青少年交換学生としてアメリカに留学しました。視覚障害で目が見えない私にとって、ネパールとは何もかも違うアメリカでの生活は、とても不安でした。母国では姉妹や寮の友だちと同じ部屋で寝起きする生活でしたが、ホストファミリーの家では自分の部屋がありました。

最初のホストファミリーはローゼスさん一家で、次はカムラズさん一家でした。大きな家に住むのは初めてで、わくわくしました。安全に動き回れるよう、まずは家中すべての部屋を探検し、どこに何があるかの感覚をつかむことにしました。今思い出すと可笑しいのは、到着したばかりの頃、ネパールのようにトイレを流す水が入ったバケツはどこにあるのかと、ホストファミリーのお母さんに尋ねたことです。 続きを読む

米山奨学生の視点から【1】:矛盾から希望へ そして更なる光へ

寄稿者: 黄セミ(米山奨学生、韓日同時通訳者)1

「武秀」

これだけでは、韓国名なのか、日本名なのか、それとも中国名なのか区別がつかないでしょう。

父、武秀は日本の植民地時代に生まれ、創氏改名政策によって日本名がつけられました。同年代の多くの人がそうであるように、父は日本に対する反感が強かったのです。若い頃は、会社が呼び寄せた日本人から技術を教えてもらうことに耐えられず、独学で日本語を勉強し、技術で彼らを抜いてしまったそうです。また、テレビで日本の話が出るとチャンネルを変えるくらい、父にとって日本は家族や周りの人たちの苦労を思い出させる痛ましい過去のようでした。

そのような父が、 続きを読む

私が平和フェローシップを志した理由

寄稿者:宇治川 貴史(第15期生ロータリー平和フェロー、ウプサラ大学)

クラスメートと

クラスメートと

私は大学卒業後の4年間は名古屋でサラリーマンをしていました。とても居心地の良い会社だったのですが、国際協力に携わるという夢を叶えるため、一念発起してNGOに転職しました。そして、2013年12月からの2年7ヶ月間、スーダン共和国でNGO駐在員として働いていました。

 平和フェローシップとの出会い

スーダンでは長年にわたり紛争が続いており、広大な土地に地雷が埋設され、不発弾が遺棄されています。そして、その地雷や不発弾による事故で、手足や命を失う人が絶えません。 続きを読む

世界に平和の種をまく ― ロータリー米山記念奨学事業 ―

寄稿者:小沢 一彦(米山記念奨学会理事長、2007‐09年度国際ロータリー理事)

私が理事長を拝命している公益財団法人ロータリー米山記念奨学会が、2017年7月、財団設立50周年を迎えました。ロータリー米山記念奨学会は日本のロータリーが協同で運営する奨学財団で、財源はすべて、ロータリー会員を主とする寄付金で成り立っています。Yoneyama2

事業の始まりは1952年、“日本のロータリーの父” 米山梅吉氏の名を人びとの心に刻むため、東京ロータリークラブが奨学金事業の構想を立てたことにさかのぼります。日本で学ぶ外国人留学生への支援と交流を通じて「平和日本」続きを読む