~東日本大震災を振り返る~(第2回)
寄稿者:佐々木一十郎(名取ロータリークラブ会員)
紙一重だった運命の分かれ道
震災当時、私は名取市長の職にありました。名取市は仙台市の南隣に位置し、仙台空港の所在都市です。
2011年3月11日、名取市の沿岸部は想定を超える9メートルあまりの津波に襲われ、当時の人口73,502人のうち、911人の命が失われました。広大な仙台平野の一部で平坦な地形だったため、津波は海岸から5.5キロメートル入った内陸部まで到達していました。
私自身は、地震発生時に沿岸から6キロメートルほど離れた名取市役所3階の市長公室で会議中でした。震度6強というこれまで経験のないほどの激しい横揺れに耐えたのち、災害対策本部を立ち上げ、対応に追われる日々を過ごしました。
私の妻は当時、港町閖上(ゆりあげ)の自宅にいて地震の後片付けをしていましたが「津波が来る、逃げろ」の声で車に乗って自宅を出たところで津波にのみ込まれてしまいました。幸い、津波の勢いが弱まって車から這い出し、近所のお宅のたんすの上でしばらく過ごしました。その後胸まで水につかりながら自宅に戻り、1階の天井まで津波が来ていましたが2階に上がって、濡れた衣服を着替えて夜を明かすことができたということです。
長男も家業の造り酒屋の工場で、地震の後片付けをしていて津波の到来を聞きつけ、あわててコンクリート造りの酒蔵の屋上へ駆け上り、辛うじて難を逃れることができました。屋上から、ふるさとのまちが津波に飲まれて消えていく様子を見続けることになりました。途中、車で流されていく女性を一人助けることができたそうです。雪のちらつく寒い夜を蔵の屋上で一晩過ごすことになりました。
私の若い友人には、流される自宅の屋根に登って、流されながら10人以上の命を救ったという強者もいます。友人宅に遊びにきていた女子大生が津波に流されていたのを屋根の上に引き上げたのですが、この子が屋根から滑り落ち、がれきの中にあったガラス戸の上に転落してしまい、結果的に命を落とすことになってしまったそうです。とても落ち込んでいました。
亡くなった方も、生き残った方も、本当に紙一重の運命の分かれ道をたどることとなりました。
この教訓を忘れない
閖上のまちでは、海岸線に並行して900メートルほど内陸に運河(貞山堀)あります。運河よりも海側の地域では毎年、避難場所や避難経路の確認をし、避難訓練など津波への備えがなされていましたが、陸側では「津波が貞山堀を越えることはない」という固定観念がありました。その結果、閖上で人口当たりの死亡率が一番高かったのは、海に近い地区ではなく、内陸部でした。
巨大地震に見舞われたらまず津波を考えるのが当然だと思いますが、残念なことに対応できなかった方が大勢いました。人が予期しない事態に遭遇したとき、「ありえない」という先入観が働き、物事を正常の範囲だと自動的に認識する心の働きのことを「正常性バイアス」といいます。緊急事態下で的確な行動を取れるか否かの明暗を分けうるこの「正常性バイアス」の作用を、これから起きる災害の教訓として理解しておく必要があります。確かに、我々の記憶にある、かつてのチリ地震津波や宮城県沖地震での津波では、名取市は大きな被害にあっていません。しかし、歴史をたどれば西暦869年(貞観11年)に起きた貞観津波がマグニチュード8.3の地震と、今回と同規模の津波を引き起こしたという記録があります。今から1千年以上も前のことです。
災害情報をどう集めるか、ということも大事な課題です。もし、地震後の停電がなかったら、多くの人がテレビで三陸地方を襲った津波を見ることができたはずです。名取市への津波の到来は地震から1時間6分後でしたので、それを見てから逃げても十分に間に合ったはずです。車載テレビで津波の到来を知った人もいますが、どんなに人びとに「逃げろ~」と伝えても行動につながらなかったと言われています。テレビでも、ラジオでも、ネットでも、自分で情報を集めることがとても大事です。
釜石市(岩手県)の大槌湾に面した鵜住居(うのすまい)地区は、津波で壊滅的な被害を受けましたが、そこの小学校と中学校にいた児童・生徒約570人は、全員が無事避難できました。これは「釜石の奇跡」と呼ばれていますが、三陸地方では昔から「津波が起きたら命てんでんこだ」と伝えられてきました。「津波の時はめいめいに自分の命は自分で守れ」、「津波が来たら、取る物も取り敢えず、肉親にも構わずに、各自てんでんばらばらに一人で高台へと逃げろ」ということです。また、「自分自身は助かり、他人を助けられなかったとしてもそれを非難しない」という不文律でもあるそうです。「津波てんでんこ」は、これまで多くの津波を経験してきた三陸地方で多くの命を救った貴重な教訓です。
復興を遂げた名取市の今
名取ロータリークラブでは、震災後に事務局の電話が不通となりましたが、Eメール等で安否確認を行い、幸い、会員は全員無事でした。友好クラブである上山ロータリ―クラブから名取市に避難所救援物資として米600キロをいただいたほか、それまでお付き合いがなかった川越中央ロータリークラブからも「避難している皆さんの足に」と自転車80台を寄付していただきました。そのほかにも地区や他クラブ、ロータリアンから多くの見舞金やご支援をいただき、シェルターボックスも複数の避難所に設営しました(着替えや物干しに利用)。
このように多くの方々からのご支援のおかげで、名取市は復興を遂げ、現在の人口は79,655人で、震災当時から6,153人増加しています。壊滅的被害を受けた閖上には、海抜5mほどに嵩上げした人工地盤の上に美しい街並みが出現しており、天然温泉やヨットハーバー、ゆりあげ港朝市、「かわまちてらす閖上」、「みちのく潮風トレイル・名取トレイルセンター」、震災復興伝承館、ついでに我が「宝船浪の音醸造元佐々木酒造店」など、魅力あふれる拠点がいっぱいあります。
ぜひ機会を作って閖上にお越しください。
【寄稿者プロフィール】
佐々木一十郎(ささき いそお)
学校法人わかば学園理事長/美田園わかば幼稚園園長、有限会社佐々木酒造店顧問。
1871年創業の宝船浪の音醸造元4代目社長時代の1991年に名取ロータリークラブ入会。その翌年から名取市議会議員を2期務める。2004年から名取市長を3期務めるが、2期目の途中で東日本大震災に見舞われ震災対応に追われる日々を送る。沿岸部のまち閖上では内陸部への集団移転か、現地復興かで混乱があったが、残りたいという住民を中心に嵩上げした人工地盤の上に魅力的な海辺のまちを作り上げた。2020年旭日小綬章。現在は先代が始めた幼稚園の園長を務める。
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