日本初のロータリークラブの設立は、二人の日本人ビジネスマン、福島喜三次氏と米山梅吉氏のアメリカでの出会いがきっかけでした。この出会いから数年後の1921年4月1日、日本で第一号となる東京ロータリークラブが加盟認証されることになります。
日本へのロータリー拡大

テキサス州ダラスにある日系企業の支店長だった福島喜三次は、ダラス・ロータリークラブの会員でした。一方、三井銀行の常務取締役だった米山梅吉は、1917~1918年、日本政府派遣の財政経済委員の一員として何度か渡米。その時に福島宅で一時を過ごし、福島からロータリーを紹介されました。
1920年代初め、日本に帰国した福島、そして米山は、他22名の創立会員とともに東京ロータリークラブを設立し、福島がクラブの初代幹事、米山が初代会長となりました。
日本で二番目となる大阪ロータリークラブは、大阪に赴任した福島の働きかけで、1923年に加盟認証されました。さらに、日本で特別コミッショナーの任を受けていた米山の努力もあり、1925年には名古屋、神戸、京都の三つのクラブが加盟認証されました。
第二次大戦による脱退と戦後の復帰
1940年、当時の政情により国内48クラブがもはや組織的に活動できなくなったことが、日本のロータリー指導者から国際ロータリー世界本部(米国)に伝えられました。このため理事会は、やむなく日本のクラブを脱退とし、地区を解散しました。
しかし、ロータリーの精神は日本で強く生き続けました。第二次世界大戦中、多くの元ロータリアンが「〇曜会」という名で例会を続けました(東京では「水曜会」、大阪では「金曜会」)。1948年、日本でのロータリークラブの復帰の可能性を探るため、RI事務総長補佐ジョージ・ミーンズが来日。その際、「水曜会」の事務局に『The Rotarian』誌や他のロータリーの冊子が山積みになっているのを目にしました。また、クラブ会員たちはロータリー歌を歌い、旧東京ロータリークラブが使っていたのと著しく似た名札を着けていました。
シカゴに戻ったミーンズは、その結果を1949年1月に理事会に報告。これを受けて、理事会はできるだけ早く日本のロータリークラブを復帰させることを決定しました。3月29日にミーンズが再来日し、東京ロータリークラブに新たな加盟認証状を伝達。京都、大阪、名古屋、神戸のロータリークラブも、4月末までに復帰しました。
国際ロータリー歴代日本人会長

1968-69年度
東ヶ崎 潔(東京ロータリークラブ)
会長テーマ:参加し敢行しよう!(PARTICIPATE!)

1982-83年度
向笠 廣次(中津ロータリークラブ)
会長テーマ:人類はひとつ-世界中に友情の橋をかけよう(Mankind Is One — Build Bridges of Friendship throughout the World)

2012-13年度
田中 作次(八潮ロータリークラブ)
会長テーマ:奉仕を通じて平和を(Peace Through Service)
日本で開催された国際大会
1961年東京大会(5月28日~6月1日)
アジア初のロータリー国際大会(出席者数23,366名)。天皇陛下が開会の辞を述べ、国際理解におけるロータリーの貢献を称えました。詳しくは大会議事録(英語のみ)をご覧ください。
1978年東京大会(5月14~18日)
日本で二回目の国際大会(出席者数39,834名)。新しい「保健、飢餓追放、人間性尊重(3-H)補助金」プログラムの創設を発表。この補助金は、安全な水や医療へのアクセス改善、識字率向上といった活動に活用され、現在のグローバル補助金への道を開きました。詳しくは大会議事録(英語のみ)をご覧ください 。
2004年大阪大会(5月23~26日)
有料出席者数で過去最多数を記録(出席者数45,381名)。元ロータリー奨学生で国連難民高等弁務官だった緒方貞子氏が、奨学生当時の経験や、紛争の原因を理解する上でその経験が与えた影響について講演しました。詳しくは大会議事録(英語のみ)をご覧ください。
フォトギャラリー





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