ハーフとしての人生を伝える

~ドキュメンタリ―映画『HAFU』を製作

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映画撮影中の西倉さん。

By 西倉めぐみ(2006-2008年度 ロータリー平和フェロー)

rv2020_minidokaasiasociety-1私のキャリアを形成した3つの重要な瞬間があります。最初は6歳の時でした。日本人の父とアメリカ人の母がハワイのパール・ハーバー国立記念館に連れて行ってくれました。戦艦アリゾナの残骸を見た時、私が属する2つの国がかつて戦争をしていたことを知ってショックを受けました。後に、両祖父母の国が敵として戦っていたこと、終戦から25年後、両祖父母は自分の子のパートナーを憎むことなく家族に迎え入れたことを知りました。

2番目の瞬間は2011年9月11日。私は当時、ニューヨーク大学の4年生で、映画について学んでいました。私はその時、ニューヨークにいませんでしたが、その日に起こった恐ろしい出来事は、その後の私の人生を大きく変えました。私は、より公正で平和な世界をつくるために、メディアを使ってできる限りのことをしようと決心しました。これが、ロータリー平和フェローシッププログラムに参加することになったきっかけです。私は平和フェローとして、メディアが平和構築において果たす役割について論文執筆に集中しました。

最後の瞬間は、平和フェローで学ぶために日本に戻った時です。子どもの頃、日本に住んでいましたが、それから11年がたっていました。大人になり、もはやインターナショナルスクールの仲間内で守られることのなくなった私は、半分日本人であるというアイデンティティーに正面から立ち向かわなくてはなりませんでした。私は日本のパスポートを持っているにもかかわらず、見た目のためにしばしば外国人として扱われました。新しい人と出会うたびに、なぜ私は日本人の名前を持ち、訛りのない流暢な日本語で話すのか、説明しなければなりませんでした。私は質問されることなく受け入れられることはありませんでした。

国際基督教大学(ICU)に留学中、日本の少数民族についての授業を受けました。授業は、主にアイヌ民族、在日コリアン、被差別地区に焦点を当てていましたが、疎外されてきたという歴史に、私は深く共鳴しました。人間は、自己と他者を精神的に対峙させ、表面的な違いに基づいて素早く分類し、区別する性質があるようです。ある属性に所属することを許可し、別の属性に所属することを拒否するという単純なことが戦争の根本的な原因の一つだと思います。映画製作を通じて、いわゆる「その他」の人たちの共通点にスポットライトを当て、描かれた目に見えない境界線を消したいと思います。

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ドキュメンタリー映画『HAFU』のポスター。DVDはオンラインで販売中。

ICUを卒業してすぐに、私は日本人とアメリカ人のハーフである経験を生かすことに決めました。映画製作パートナーであるララ・ペレス・タカギと一緒に、日本人と外国人のハーフとしての経験を記録した、映画「HAFU」を3年がかりで製作しました。この映画は、5人のハーフの物語と、日本での日常体験を語っています。ハーフの彼らの中には、日本しか知らない人もいれば、日本での生活が全く新しい経験である人、2つの異なる国の間にいる人もいます。この映画は、日本の5つの主要都市で劇場公開され、アメリカの公共テレビで放映されました。日本各地の大学の教室でも紹介され、議論されています。

2014年からは、ニューヨークのブルックリンにあるBlue Chalk Mediaというドキュメンタリービデオ制作会社のプロデューサー兼ディレクターとして働いています。2015年に、短編ドキュメンタリー映画「七転び八起き―アメリカへ渡った戦争花嫁物語(Fall Seven Times, Get Up Eight: The Japanese War Brides)」を製作。その年の8月15日にBBC World Newsで取り上げられました。この映画は、3人の日本人戦争花嫁の話で、アメリカが日本を占領している間にアメリカ兵と結婚した日本人女性が、家族と一緒に暮らすためにアメリカに移ってきたというものです。女性たちは文化や言語の壁を乗り越え、夫の実家からの差別さえも乗り越えました。その映画の中で、ある時日本の戦争花嫁の娘が、アメリカの軍人の父親に「なぜ敵と結婚したの?」と尋ねます。彼はそれに答えます。「彼女たちは私たちの敵ではない。戦ったのは政府」だと。

2019年2月、雑誌『Time』で私の最新短編映画「ミニドカ」が発表されました。これは、若い日系アメリカ人活動家が、アイダホ州にあるミニドカ国立歴史地区を訪れ、第二次世界大戦中に強制収容された家族の歴史をたどる話です。この映画は、強制収容所跡を訪れ、過去の出来事を今の政権の政策と結び付けたいという私の願望から生まれました。

現在、日系アメリカ人として初のバレエダンサーとなった、ソノ・オーサトという女性のドキュメンタリーを制作しています。1919年生まれの彼女は、今日のモダンバレエの基礎を築いたバレエ・リュスやアメリカ・バレエ・シアターに所属し、ダンサーとして活躍していました。しかし、第二次世界大戦時、彼女が日系人であったためにツアーに参加することを禁止されたのです。私は、2022年までにこの映画を完成させたいと思っています。

私の夢は、特に平和と紛争に関連する問題において日本および多くの日系人についての話を伝え続けることです。現在アメリカに拠点を置いていますが、近いうちに日本に戻って別の映画を作りたいと思っています。

(『ロータリーの友』2月号から)

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