ロータリー創立112年に創立者を想う 

harrisBy 国際ロータリースタッフ

2月23日に創立112周年を迎えるロータリー。今や世界200以上の国と地域に120万人の会員を有するこの国際組織のはじまりは、シカゴに住む一人の弁護士、ポール・ハリスの夢とビジョンでした。ロータリーの生みの親、ハリスとはどんな人だったのでしょうか。

写真で見るハリスは、育ちのよい真面目な紳士といった風格ですが、その生い立ちは決して恵まれていたわけではなく、優等生というよりはやんちゃな学生でした。

1868年4月19日、米国ウィスコンシン州ラシーン生まれ。両親が浪費家だったため、幼くしてバーモント州の祖父母に預けられ、その後はめったに両親に会うことはありませんでした。少年時代はいたずら好きで、悪ふざけをしたり、授業をさぼることもしばしば。ブラックリバー・アカデミーに入学するも、わずか数週間で退学しました。その後、バーモント陸軍士官学校を卒業してバーモント大学に入学しましたが、またも退学処分に。1887年秋にプリンストン大学に入学しましたが、半年後に祖父が亡くなり、結局プリンストンに戻ることはありませんでした。

しかし、「勤勉に働き、誠実に生きよ」という祖父の教えを守り、アイオワ州の法律事務所で1年間見習いをした後、アイオワ大学で法律学士を取得しました。5年ほど世界を放浪した後、1896年にシカゴに来て法律事務所を構え、その後40年以上、弁護士として活躍しました。

その一方で、都会暮らしに寂しさを覚えたハリスは、故郷バーモント州に見られたような友愛の精神を求めていました。「立身出世するために農場や小さい村からシカゴにやって来た若者たちが大勢いるはずだ。彼らを一堂に集めたら…きっと何かが生まれるに違いない」

そこで思いついたのが、地元の職業人たちと友情を分かちあうクラブをつくるというアイデアでした。当時ハリスは36歳。仕事で知り合った数人の仲間を集め、このビジョンを打ち明けました。こうして運命の日、1905年2月23日に、ハリス、ガスターバス・ローア、シルベスター・シール、ハイラム・ショーレーの4人がシカゴ中心街のユニティ・ビルにあるローアの事務所(711号室)に集まり、世界初のロータリークラブ例会が行われたのです。

シカゴにクラブを設立したハリスは、ロータリーを全米、そして世界中に広げるために尽力しました。ロータリーは創設後わずか16年間でさらに6大陸に拡大し、1920年(大正9年)には日本初のロータリークラブ(東京ロータリークラブ)も設立されました。

ハリスは1947年1月27日、シカゴにて78歳で永眠しました。

米国イリノイ州エバンストンの国際ロータリー本部に飾られたハリスの全身像は、世界中からの来訪者が記念撮影をする人気のスポットとなっています。実はこの像、日本人が制作したものですが、そのお話は別の機会にブログでご紹介します。

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